久々に初心者からの出発なので、あわあわしている。ふう。でも当分、できないままに、できるようにしようとするしかないのだなあ。この見習い感覚になれねばなあ。教えてもらえていることも贅沢であるしなあ。ここしばらくは、今の新しい職場以外でも、なにやら見習いめいた年である気がします。大殺界ならぬ、大丁稚界。
なにやらがんばらねば、と力んでいて、がんばらねば、と思っていなければどういう心持ちでいたら良いのかわからなくもあり、そこをはずしたらとたんにほうりだされそうなので、こころぼそくもあり、自転車で向かった先は、十八番、そんな中華料理然とした名前の、値段も良心的な定食屋で飯を食っていると、このお店は二回目であるのに、おっちゃんが、前来ていたのをおぼえていた風で、今日もハーフでっか、と、私がハーフ&ハーフ定食を前回頼んでいたのまでおぼえていたような風で、ぐぐっときてしまった。ハーフ&ハーフ定食を頼んでいた疲れた顔をした女、そういった、わたしの一つの側面が、おぼえられているのがなぜだかうれしい。
私には、いくにんかの近しい隣人がおり、その人たちからも、これ以上ない、というものをもらっているのだけれど、どうしたっても、自分でなんとかせねばならないところもあり、そういったところは、自分でなんとかしようとしているのだけれど、そこをふわりとなでるようなのは、どうでもない、どうしようもない自分を、どこからかてらされたときなのでした。
スピーカーからパフュームが流れ、マカロニ、という曲で、私のまわりでは多くの人がパフュームにヤラれているのですが、マカロニ、の歌詞が、胸にずきゅんときました、さっき、はじめて。あの中華十八番のおっちゃんのひとことと同じくらいに。
生きているだけでご褒美がもらえないかなあ、と思わずつぶやいていて、かなりはずかしかったが、そのときの本音であった。そういうのは、彼氏にゆったらええですやん、と、まるくまとまった答えが返ってきて、そりゃそうだけど、そう自由にえられるもんでもないわな、と思い、ご褒美、ご褒美、と思いめぐらし、ストレッチをしたり、ブログを書いている。このブログは少しはご褒美っぽい。





