2008年4月10日

アウェー

 大阪にいる。  大阪はアウェーだけれど、気持ちまでアウェイなのは、大阪にいるからではない。  長い間、私は身近にいるごく少ない人たちの中だけで暮らしていたけれど、そんな日々からずいぶんたった、今では様々なつながりが生まれ、自分のなじんた小さな世界だけではなく、そのほかも視野に入る。入れる必要がでてくる。  それは大人になるということなんでしょうか。  めぐってくる機会があれば、それをいっしょうけんめいやります。それしかないですし。  でも、自分が好きな、小さな世界、それもとても大事で、小さく小さく遊んでいたい。それをないがしろにしているなあ。

2007年11月26日

施行停止

東京から帰ってきていちんちだけの我が家。ダンボールが林立するだけの空間よ。家はいいのにねえ。東京の西荻宅でさんざん現状を肴に。Yさんは前回Yさんとぜんぜん話してないなあ、と私がいったのを根に持ち、ハラを割りまくったそう。そんなことゆったのは忘れている。そしてYさんに今回はさんざん元気付けられた。 元気だか元気がないんだかわからない。いや、元気。動いているからな、毎日。落ち込んで動けない日はここしばらくまったくない。やることはいっぱいあるしなあ。 明日はOさんと会う。Oさんにも相当世話になっている。 ありがたいことだ。 明後日からは広島。 10月11月は賃仕事の労働時間は本当にわずか。不安だけど、こんな余裕がある感じも人生のひとときだけだろう。わずかな仕事にあわあわしてないで、楽しまないと。 12月はウチの手入れを。 そして、とってつけたようにいのっとくわ、会えないあなたに幸あらんことを。

2007年9月 4日

決断疲れ

決断続き。少し前まで脳内ニートだった人になにやらす。最大の決断のあまりの決断の大きさに二晩眠れなかったほど。 そうはいっても、人間関係の不自由さにくらべたらぜんぜん大丈夫、というかんじ。 いろいろあきらめるためにこの大きさ? 決断はまだまだ続く。 むつかしいことが、でも決めて、動かなきゃいけないことがまだまだ続く。。 自分を単純にしないとつぶれるな。 気をつけよう。

2007年7月10日

キョートットにずっといる

なんか、雨も降っていることもあって、キョートット出版にずーといる。電源コードを忘れたので、家にとりに行き、風呂をあびて再びキョートットへ。回りません、頭も、そのほかも、と思い、高山建築学校冊子のスキャン作業を。チャームにようやくビッグプレジャーナイトマガジン送る。 昨日眠り端にYから電話があり、飛び起きるに値する出来事だが、目は覚めず、それでもことばを拾おう、拾おうとしていた。ちょぼちょぼと飛び石のように話されることばを総合して考えると、いくらかの割合でよいことが話されたんじゃないか。会ったりするのは、ずっと先のことだと、それはそうだということだけど。私は半分寝ているようで、距離をとっているから、距離をとっている理由も全部忘れていたので、Yに会いたいし、声も聞きたいし、ねこちゃんにも会いたいし、何も問題がない気がして、Yとのあいだにあたりまえのようにあるはず、とまだ感じてしまっているけど、最近味わっていない心地よさを味わっていて、気持ちがよかった。

2007年7月 9日

日々の粟

仕事がえりに不動産屋、カラオケ。マイアミから電話あって、ちょうどよいので、最近やろうとしていることの相談を飯食いがてらする。というつもりでさそったんだけど、とりあえず、あまりにたいへんだったのに負けて、大事なものを手放してしまって、それをなんとかやりすごすために、しゃかりきになっているのだ、という話から始まり、私の愛と憎しみを語る。いろいろアドバイスを受ける。この辺の人間観察眼はすごいあるなやっぱり、マイアミ。 あと、マイアミの近況(ラブ話が中心)をきいたり、本題の打ち合わせ、というか、私が考えていることをちょっと酔ったこともあってでかい話に結び付けつつ、話す。マイアミ相手だと、連想されるままに、ことばをマシンガンのように放出しても大丈夫な、稀有な友達であるので、安心して話す。マイアミは、こういう話は、ほんとにひろう。ありがたいこってす。話だけに終わらせず、ちゃんと実現させていきたいもの。 その後、客にみやげにもらった粟餅を、キョートットの方々に持っていく。喜ばれたのでうれしい。 うちに帰って、ちょっと話したことで、手放してしたことや、それにまつわる様々な感情を思い出して泣く。 やりたいことをやれるのは、幸せなことだ。でも、毎日、本当にちょっとずつしかできない。だからやんないとねえ。

2007年7月 7日

ぬるいけどたいへんな日々

あまりにたいへんなので、いろいろ予定、企画をたてて自分を社会に復帰する方向にしたのだけれど、そうしたら自分の首がしまった。ははあ。が、今たいへんなのはあたりまえでんがなねえ。 企画をたてたものの、家ではぼんやりとダウナー田中のリングネームがぴったりの様子、首の締りがきつくなるばかりなので、キョートット出版にパソを持ち込み作戦を展開、功を奏す。 今日二十日〆切りの原稿あげた。 企画ばかりが私を元気つける。 今日はキョートットの人を見かけなかったが、キョートットとの交流もたいへんありがたい。今日は一人で占領、漫画を読んだり、作業をしたり。外の路地を楽器を弾く人が歩く。オフィスとして最高です。

2007年5月11日

側転天国

前々から気になっていたカポエイラの見学にいって、自らの運動能力の限界の、こんなに低いです、を噛み締めました。全般にあんぐり口をあけるほどできないんですが、側転、嗚呼、側転。カポエイラは、その戦いの場所の円の中に、側転ではいっていくのです。側転につぐ側転。なぜ、こんなにできないことをやっているのか、わけがわからなくなりました、いや、できないから、不得意だからこそいっているのですけれども、カポエイラはすてきな格闘技です。 その帰りがけ、体の間接部分がぎしぎしでして、甘えたい気になり、あのゆるやかな坂もきついし、と自分にいいわけしつつ、Yのウチにむかって、さて、我々はお互いの家にいくには、ちゃんと電話してからいく、ということになっているものの、Yは電話に出ないことも多く、電話に出なくても訪ねることもあって、その日はそういう日だった。そうしたら、女の人が寝ていて、Yも寝ているようで、ああ、と思って帰りました。なにが「ああ」なのかわからないけれども、帰るのがいいのか、帰らなくてもよかったのか、そういう判断はぱっと見、わからないもので、いやいや、そういうことではなく、お互いの生活を守るために決めたルールは、やはりその通りにせねばならない。そこに私の、私だけの理屈や、そのとき感じたことを付け加える余地はない。 あれほどおっくうだった坂は妙にやさしく、その日は今年一番暖かく、車輪はおもしろいように滑り、自転車が、よい友達でした。

2007年4月17日

さむいおよ

ウチの資料をまとめを引き続き。ホワイトボードを復活させる。過去の遺産、株主優待が出てきたので、散歩がてら使いに行く。カラオケ。帰ってきて、ようやく目当てのパンフ向けの資料をまとめはじめる。あーあれだ、ビデオをみて、ラブリーポップの原稿も書かないとだ。ふんむ~。いろんなことを忘れつつ。

2007年4月16日

さむいねえ

なかなかおきられない。睡眠時間だけが贅沢な遊民よ。昼過ぎにKさんが遊びに来る。定番の黒谷へ散歩。昼ごろミズシマさんから電話、ナイガイのことでちょっと話す。この話がいい感じでまとまったらかなりありがたいなあ。Kさんが帰ってからカルボラーナをつくる。料理が私をささえているよ。頭を使ったことがなんだかできないので、資料の整理等を。部屋がとっちらかる。何かすんでいっているのでよし。借りてきたCD、マイアミのCDのコピーなどもやったのでよし。明日は報告書をやっつけてしまいましょうね。

2007年4月 6日

ふらつきながらも原稿あげる

16日〆切りの原稿にとりかかっている私えらい。が、心がうつろいやすいので、やれるときにやっとかないとっていう危機管理。ようやくね。この歳にしてね。ゆらゆら帝国をずっときいて、新宅一平さんのブログを読んで、こういう感じも忘れているなあと目を伏せる。そして空を見ますよ。このふたつはぜんぜん別物なんだけど、つまり、少しコトバに対する回路が閉じているということです。でもどっちもとってもよいと思ったのです。 とはいえ、家事しつつ、原稿書きつつ、少しだけカラダをこりっとさす。昨日のOさんとのセッションのおかげ。 夜マイアミが明後日の選挙千秋楽の最終ニュースのための写真を印字するためにやってくる。私は残念ながらいけないのだが。4年ぐらい前の高山のマイアミのパフォーマンスをビデオでみて、やっぱりスゲーと思う。

2007年4月 5日

なんとかするのかしないのか、それも問題だ

久しぶりに、かつ二件続けて仕事。セックス自体がひさしぶり、というか、プライベートでセックスをながいことやってないよね、と指折り数えながら、これからもできそうな目処は皆無だわ。このような状態で、売春を続けるのは無理がある、と感じる。性的な感覚が鈍いままで、客とよい時間をもつのはとてもむつかしい。かつ、心とカラダの両方にとても負担がかかる。 と、どうしたものかと思案しいしい、Oさんが整体の練習台になることになる。やっぱり人にカラダをさわられるのはいい、としみじみ。少し思い出す。少しだけOさんにやりかえすが、その楽しさもひらめくように体に蘇る。相手がどう感じているかはわからんが、丹田のあたりから、暖かくなり、Oさんとふれいているところがつながる感じ。この集中感と充実感。 こういう機会を、イシキして作らないと本当に駄目だ。妙なエネルギーが沈殿して、鬱屈したサイクルをあきもせず繰り返してしまうから。くすぶってるのから抜けるように。

2007年4月 4日

またなんとなく書く

さくらを見た。 ちからが入らないけどそれはいい感じ。 無事部屋のものがへるかなあ。 いい感じかなあ。 メールの返事をぽつりぽつりと書く。

2007年2月 5日

時間は続いてる

といって安心してみる。 落ちてる。気力性欲も減退。気力が萎え萎えいつものことだが、性欲が落ちるのは久々なので大丈夫なのぼくちゃん、感がつのる。でもまあ普通かそれも。 春がはやくきて欲しい。 季節は確実っす。

2007年1月16日

こっちもね。

やることがいっこ、にこ、さんこ以上になってきたので数えられない。 きゃー。 おちつけー、おちつけよー。でも、自分のブログも書きたいの。書かないともたない。明日〆切の原稿のためのビデオをまだ見てない。 きゃー。 これからみる。「燃えよドラゴン」。 今日は、午前ミズシマさんと電話で客向けパンフ相談、午後春仕事、そんで、カラオケいって、ビデオ借りにと出町柳商店街へ。 あんまなんもやってないのにあっというまだなあ。 モモコの編集さんから、すげえうれしいメールが。 ちょっと無断引用。
今日、版元のマッシュアップからこんなメールが来ました。
>
> 話は変わりますが‥
> 「フーゾク虎の穴」に感激した!!という方から熱い電話がありまして
> 是非「性感染症カレンダー」を手に入れたい、もっと「虎の穴」記事が読みたい
> でもPCも携帯サイトも使えない(;;)とのことでしたので
> カレンダーは“ラブリーポップ”の場所をご紹介して
> モモコバックナンバーを数冊お送りするということにいたしました。
>
> こういった事をわかりやすく楽しく書いてくれている記事が欲しかった
> 友人にも読んでもらいたい、と絶賛していらっしゃいましたので
> 田中課長さんによろしくお伝えください。

と言った内容です。
喜んでくれる読者のために、今年も張り切っていきましょう!
泣きました。 でも、モモコのイラストの〆切を遅れ中。ひー。

2007年1月 3日

正月終了

正月おわったね。ていうか、かいまみえたかどうかだわ。一瞬きらっとおとずれた、あれがもしかして・・・? やれることを前倒しでやろうと。気になってた風俗嬢ダイアリーのボタンをマウスオーバーすると名前が表示される変更に着手。マジですか、7時間。綴りを間違える、という初歩のミスをしてやたら時間くう。できたの見たらそんなに手がこんだもんじゃなかった。次からは早くできるということで。手を掛けると徐々にダイアリーに愛が芽生えているよう。が、アクセス数を増やす手は思い付かず。どうしたもんですか。 去年は、できるようになったことも多かったが、春仕事の方は停滞。新規客もつかなかったし自分なりの手応えもなかったし収入もへったなあ。何人かのクライアントさんとは縁が深まったが。自分としてはがんがんいきたいぐらい。なんとかしないとねえ。

2006年12月29日

welcome

すきあらば泣きっぱなし。なくのは体力とこころをつかう。今までどこやらにおしこめていたものがはなたれてしまった。 あの家はわたしがいる場所ではない、とわたしはきりはなした。彼らがわたしの不在にとても緩慢な様子で傷ついている。わたしは帰ることをのぞまれている。それでも帰ることはできないし、彼らがのぞんでいるのは、「彼らの子供」で、わたしではないように思える。しかし、「彼女」はずっと迎えられることを、帰ることを望んでいたので、わたしが彼女の願いをかなえるのだと思う。

2006年12月28日

あやまられる

あやまれた。 私にトラウマがある限り、俺にもトラウマなのだ、といった。 それはその通りだと思った。 とても意外で心底おどろいたが、私との間にあったことのことの重大さを了解しているようであった。 あのような感情をあらわにするのをはじめてみた。 私は、少しでも悪かったと思っているのなら、それでさえも奇跡だ、と思っていたので、許した。それは通じたのだろうか。 まるで無理がなく、「許すよ」と口にできた。 本当に、私は許せたのだろうか。 心の中が憎しみでいっぱいになる存在ではなくなったのだろうか。 ずっとずっとそうでなくなりたいと願っていた。 それは叶えられたのだろうか。

2006年12月 9日

[告知]「風俗嬢ダイアリー」明日オープンします!

いつも日常をだらりと書き綴るだけのこのサイトですが、今日はブログらしく告知などを。 最近かかわっていた風俗嬢ダイアリー、明日オープン、ということになりました。 これは、GINAというNGO団体とSW-rpmの共同企画で、7人の現役、元風俗嬢のリレー式ウェブコラム、という感じのサイトです。 書き手は、白川裕子さん、山口みずかさん、鈴木南水子さん、びび子さん、ドリーミィさん、滝波リサさんです。私も、タミヤリョウコという名前で参加してます。 明日から、ついに、始まって、三つのコラムが載る予定です。 その後、週に一度、一コラム更新されます。 ぜひぜひのぞいてみてください。 ■風俗嬢ダイアリー http://npo-gina.org/fdiary/

2006年11月30日

母と快挙

ファミレスで母と。母はずっとしゃべり続け、わたしは生半可な相づちを打つだけではなく、会話の糸口を探していた。が、わざわざそんなことをしているのにも疲れてきて、しかし、私が何もいわないままに、母のいうことをきいていない状態になったら、それこそその場は私にとって耐えられない、むなしいことになる。ので、聞いている状態を維持しつつ、何か手はないかとふらふらと意識を漂わせていると、話題が信仰についてになり、誰々さんとこの息子さんが信仰をもつにいたったことなどを母が話し始めた。マズい。今までのほうが遙かにマシだった、という状態になる。もうこれ以上ココにいてはいけない、ということしか考えられなくなる。 出て行く代わりに、「お母さん、その話をするのをやめてほしい」という。母は、ごめんね、私しゃべりはじめたら、とまらなくなるから、とあやまる。 間をおいて、お母さんがしゃべり続けるのがいやだったんじゃなくて、信仰のことを話すのがいやだった、私はその話をされると、本当に耐えられなくなる病気だから、その話をするのは控えてほしい、と話す。それは、たぶん、自分が信仰を持っていないことに対して、罪悪感があるからじゃいかと思う、と説明する。そんなん罪悪感もたんでもいいのに、じゃあお祈りするし、という。この軽い天真爛漫さを前に、自分の追い詰められる深刻さが馬鹿馬鹿しくもなる。 私はその短い時間の一件で動揺し、疲れ、しかし、少し軽くなる。 家に帰り着き、その辺りの続きの話になんとなくなる。私はやっぱりどうしても信仰を持つことは無理だ、と話す。葬式の時でも、多くの人が、父との別れのために集まってくれているのに、キリスト教会の葬式だから、それに対する礼や感謝の気持ちがわかりにくいものになっていた、私は、それこそ伝えたかったのに、と。クリスチャンの人は、そういうつもりはないだろうけど、どうしても信じることがいいことで、そうでない、理解していない人はよくないんだという印象を与えてて、それはすごいいやだと。最近こころにつかえていたことも話す。教会の人も、父も母も、神には祈るけど、私に、何か話しかけたりしない、アクションをおこさない、おこしたとしても、それは、形式張ったことで、私がそれを見てどう思うか、ということはすっぽり抜けているものばかりを投げかけている、それはそれでありがたいことだとも思うけど、私にとってその気持ちを受け取れないこともとてもつらいし、「神様にいっつも愛子のこと祈っとるで」という、普通だったらよいはずの言葉が、私にはとてつもない苦痛にきこえる、だからそれはおかしなことだとは思うけど、いわないでほしい、と頼む。母は、私が昔いった、「お母さんは私がもっとも嫌いなタイプのクリスチャンだ」というのをとても気にしていて、ずっと心にひっかかっていた、といった。私はそんなことをいったのは忘れていたのだけれど、それは撤回する、といったけど、お母さんは、私馬鹿やでわっからへんで、もっと具体的にいってほしい、といった。それはそうだと思い、私が、前他の人にとっていた、「それはどうかなー」と思えることを話した。 おかしなものだ。私は、ここ一年ぐらいの間に、「もっと人のことを考えた方がいい」ということを私と関わった人何人かにさとされた。それをいわれると、いつも困っていた。が、いわれないよりはいわれた方がいいし、すぐには変えられないけど、変えられないから仕方ない、と開き直っては決していけない、というところでなんとか踏みとどまっていた。その私が、母に向かって「もっと人のことを考えた方がいい」というような同様のことをいっている。 母に、いろいろ不満を持ちながらも、なかなかいえないでいた。それは、今となっては言葉を使い出したら、母より私の方がうまく、その一瞬前まで、母によってギリギリになっていた自分が、母に不満を語り始めたとたん、私が母を追い詰める方になる、という気がしていたからだ。それでは、状況は何もかわらない。役割が交代しただけだ。私は母をやりこめたいのではない。人をやりこめたりするのは、快楽で、そっち側にまわるのはとても簡単だが、それで変わってほしいと願っているところが変わると思えないし、もし変わっても、いい変化になるのはとてもむつかしいと感じる。 私が被害者になったまま、その不満をぶつけるだけの目的だったらうまくいかない。人は非難されるのはいやなのだ。昨日書いた日記で、私の目的は、「母とやりとりすること」というのが意識されていた。やりとりにするには、やっぱりそこに愛がないと駄目、と思う。しかし、愛があるやりとりというのはしようと思ってできるものではない。結果、そうであったな、と振り返られる曖昧なものだ。やりとりというものがなされたな、と感じる背景の、ある一要素でしかない。できるだけ、「アレをしないようにして、コレをするようにする」と、その場その場をみて、表現していくしかない。 なんか出来た。 私がいろいろいって、母はショックを受けたようであったが、受け止めたい、といった。ありがたい。 素直さが重要なのか。率直ではなく。そして相手がそれでもかたくなであっても、素直さをさらにたたみかけるのが重要かもしれない。傷つくのをおそれず、腹をくくれば、傷つくのも傷つけるのも最小ですむ感じ。その時間と場を一緒に出来たことのほうがありがたいと感じられる。 その後、母も気持ちをいろいろ吐露してくれる。母の、父への気持ちをたくさんきく。それは、私にもとても重要だ。ここ数日母の気持ちをちゃんときくこともできなかったが、きける。自分の感じで、これほどまでにきこえてくるニュアンスがちがうのだなあ、と思う。 これはたまにおこること。 またいろいろあるのだろうなあ。 しかし、日常があってこういうことがおこり、一緒に生活することは大事だ、とやっぱり思う。 何度も何度も失敗しているけど、たまにいいこともおこる。希望が持てる。忘れないようにしたい。

2006年11月29日

実家修行

どうも、実家にいると、怒りも悲しみも喜びも何の気なしのぼんやりも、何もかもふたがされたようになって、目の前におきていることをたんたんとこなすだけの人になる。とてもつらい。が、昔よりはるかにマシになった。昔は、発作的にいられなくなり、国道沿いをとぼとぼ歩いたりしていたが、今は「さむ!」と思い、思いとどまるようになった。そんな風に書くと、ウチがどんな非道い家かと思われるかもしれないが、何も非道くない。よくしゃべる、天真爛漫な年老いた母がいるのみである。 それにもかかわらず、ときおり、「もう駄目だ!」と思うのは、きっと、この家にとりついたイメージがこりかたまって自分にとりついているのだ、と、そういう確信はめばえてきた。このイメージを別のものに変えたい。すぐにそれができるような気もするし、でもできない。が、いろいろ工夫している。母にちゃんと話しかけるようにしたり。しかし、私が、母に話しかけても、たいてい母は、その言葉をびっくりする感じでスルーする。かなりぎくっとなるが、だいぶんなれてきた。よくよく観察していると、母は、自分の話をしていても、突然別の話にジャンプする。私の言葉を無視している、というだけではないようだ。しかし、私は母と、やりとりをしたいのだった。母とやりとりはとても難しい。母は、別に、わざわざ私とやりとりをしたい、と思っていない。そんなことはとっくにできていると思っているか、そんな欲望もないようだ。なので、それをするのは、とても難易度が高そう。 私は、母に無視してほしくないのだな、と思う。 しかし、母の態度が、私がそうしてほしいように変わることは、まず無理そうだ。 私の、数々の発明や、思いつきや、工夫によって、私が納得するようにするしかない。 たまに、お母さんと私、今会話してた!?と思うときがある。そういうときはとてもうれしい。 が、大半はやはり私は無表情無感情の人だ。 私には、別に帰る家があること、今までおこったよかったことをいろいろ思い出すようにしている。あと、体にしみついている感じで覚えているのによそよそしくなっている周りの町を歩いて、思い出ではなく、今生きている場所なのだ、という感覚を促そうとしている。 この歳になってこんなことをやっているのか~と思うが、もう、しょうがない。今やるしかない。 よい音楽をきいたりよい文章を読むと、自分が何かに承認されている、いきていても大丈夫な気がする。京都で、安心して生きているときと、そういったものの意味や、重大さがとてもかわる。十代の頃の、音楽や、映画や、小説や、マンガに対するがっついた感じを思い出す。あれは、なにか自分が感動したり、こころを動かされることで、自分を確かめるような行為だったのかな、と思った。 実家にいると、自分の感情も、目の前にいる人の感情も、すべて無視して生活するのがあたりまえになる。私の、まわりを無視する感じは、これなのだなあ、と思う。まわりを無視しないことを、ごく自然に出来る人が私は好きだ。そういう人の近くにいると、とても安心する。あと、マネをできる。人にやさしくするには、こうなのだ、とか、これが親切や、人と人とのあいだに醸し出され、育っていく何かなのだな、と感動する。私がどうやったっても、いつもぎこちないけど、マネをするように心がけたり、影響されたりすれば、それがなんとか身についていくに違いない、と信じたい。

2006年11月26日

できたぁぁぁ~~!!

できてない!できてないけど、今日やれるとこまではできたあああぁぁ!風俗嬢ダイアリー!やったぁぁぁぁ!数々のバッドな妄想をもとともせず、むしろそれを友とし、こつこつとやりましたぁぁぁ~!いちおう、こまかいところを除けば、おおやけにも出しても、まあいいだろ、というレベルまでにはできた。完成させることの超苦手なあたいが。さあ~これからドトールでうちあげだ!おやじ!コーヒー!ミラノサンド!あとバームクーヘンね!

2006年11月25日

うまくいかない

どうしてもなんだかうまくページが生成できない。なぜだ、ムバブルタイプ。こんなにこんなにムバブルタイプのことばかり考えているのに。 ムバブルタイプのことを考えつつ、他のことも考え、泣きながら作業。そんなアクロバット。 前に、私は選んで売春してるけど、とても楽しそうにはみえない、と評され、たぶん、それは誰から見てもそうなんだろうと思うが、ここで見落としていけないのは、私がしんどそうなのは、売春をしているからではなく、私が私だからだ。とても前向きな意味で。

2006年11月22日

風俗嬢ダイアリーがすすんでる

ぜんっぜん終わらないと思えていた風俗嬢ダイアリーのデザインも、終わりがほのみえてきた。 起きているあいだは机にむかって作業、ねててもCSSの夢見てる。風呂はいってても、ごはん食っててもHTMが頭からはなれねえ。しかし、そんだけやってても、ものすごく遅く、やってもやってもおわらなかったのが、さっき、ようやく最終形態がえがけてきたような。 時間があれば、もっともっと細部をどうにかしたいけど、それは我慢。さぼっていたツケだ。公開に耐えうるまでに漕ぎつけよう。ぐはああああ。 詰めまではまだまだだけれど、絶対いいものになりそうで、それがうれしいッス。 明日は、デザイン作業と平行して、連絡事項とかもやんないとだ。

2006年11月 5日

素も股も藻も喪のうち

もう帰ったら?との無情なお達しにもめげず、号泣でかえしたい。かえらな~いかえれないかえりたいくない、とやや心情信条ともに合ってない嘘であるけども正に真剣勝負の真顔で返したい、そんな気分の今日この頃。スライムのようにでろりと不定型、やることといったらジップジャン、そんな居候でかたじけなかった。ぐずっているのももうあれですね、やめないと。というか、久々に仕事をいれたので、ようやく帰る。父が亡くなった、という話しをしたら、いろいろ話をしてくれ、余分のお金をいただく。うう。その配慮はほんとにありがたい。その金は仏前にはこころの中でだけそなえ、私の懐にそっと入るのだが、せめて母に何か奢ったりしようと思う。

2006年10月19日

あゆみののろいものはない

なおらない、風邪が。倒置法で、深刻さをあおってみた。風邪らしい症状はほぼないのだが、はあはあいうのだ。すぐはあはあいう。部屋の南北を移動するのにはなんの問題もないが、マンションの階段を半階分登ると踊り場がオアシス、というぐらい疲れる。自転車こげるけど、はあはあいってすぐ降りる。日常に遭難感がうっすらと味付けされるのである。ここはどこだ。ああ、東大路。こんな遠くまできてしまった。家はまだか。東京から帰ってきて、客からのオファーが殺到!?、まあ、ちょっと大げさにいってみた、しかし、その貴重な依頼をあはあいいながら断っている。はあはあいいつつ、頭の中でいちま~い、にま~い、と入るはずだった金を勘定しながら、悔しさに鼻水をたらしながら、断っている。日雇い肉体労働は気楽だが、病気になると不安になるね、やっぱ。昨日ははあはあいう度がピークだったので、横になり、夢と現を行ったり来たり日、そこで悪夢を見た。イースター島のモアイ像がモアイたるやを議論するためにシンポジウムを開くのだが、そのパネリストが全員象。モアイと似ているからという理由で。私はなぜだかその開催になぜだか重責重圧を感じており、うなされた。起き抜けでその話を二人に告白し逃がすことで、ことなきをえようとしたが、一人はおもわずの不可解な表情で返し、一人は鼻でわらったのであった、親切な友人たちよ。そういうわけで、家で細々やってます、作業を。誰も、私を見捨てないでほしい。

2006年9月25日

一転して天狗

日中は大阪へ。GINAの打ち合わせでT先生とAさんに会う。風俗嬢ダイアリー、最初たてた予定から遅れてる。自分の調子が悪くなったりすることは考慮されてないからな。関係者の方々に連絡しないと。遅れてはいるが、ミズシマさんとつめたコンセプトなりが、一本通ってる感じでそれがひっぱっていってくれてる。過去のわしら、マジサンキュ。ほんと、形にしておくのは大事だ。 家へ帰ってフライヤー作業。ちょっと前に衝動奮発買いしたタブレットディスプレイが大活躍。これじゃないと、絶対ムリなトレース作業。天才じゃないかと思う。が、ディスプレイ見っぱなしで目がおかしくなるわ、頭がぐらんぐらんするわで、普通の状態とはほど遠いので、明日、もっかいみて、天才かどうか確かめることにする。

2006年9月23日

なんかできるようになった

まっっったく何もできなかった状態から2日後の今。 ドツボ中だった時は、起きているとつらいので、とりあえず眠ってリセット。そして起きて2時間ぐらいのろーりのろーり動いていると、どうしょうもなくなるので、また寝る。まるで一日が4時間の生き物。ご飯を食べるのもままならず、食欲もまったくなく。 ところが今はどうだ! メールも打てるし、ご飯も炊けるし、ご飯食べてるし、台所の床が見えてきたし、すごいよ! それどころかフライヤーとかの作業までやれてるよ! びっくりだよ! まるで超人になったような気分!それは気のせい! できなかったときとの落差のおかげで、普通であることの幸せをかみしめられる瞬間です。あーあー普通ぅぅってすぅばぁらぁしいぃー。 でも、いつ何時うごけなくなるんじゃないか、という恐怖はあり、おびえつつ暮らしています。今動けなくなってほしくない。切に。 いつもバッドな時の日記ばかりなので、そうじゃないときもある、というのを書いてみました。

2006年9月21日

ぱたぱたとたおれていくよ、たおれちゃいけないもんが

いま、私はとっても焦っている。 手をつけていることが、なかなかすすまなくて、自分がどのあたりにいるのか、わからなくなっている。その焦りが、ものの見方を偏らせているし、自らぬかるみにハマリにいっているよう。 おちつきたいなあ。 たんに心がかわるだけで、全部の見え方がかわるだのに。 ずっととどこおっているのは、どの仕事をしても、心がこもっていない感じになってしまっているので、「今はまだ、これをやっちゃだめだ」とのばしのばしにしていることもある。 そこから抜け出すのも、こころがこもった仕事を、いっことっかかりにしてやるってことだ。 そうねえ、まず、朝、カラダをどうにかすることをいっこやるっていうのと、つまったら近所の寺にいくってことと、あと、便箋にむかうってことかなあ。

2006年9月13日

いろいろ考えた

この五日間、ほんとに片時も気がやすまってなかったのに、さっき気がつきました。 いろいろ考えたり。考えているだけじゃ駄目で、何をするか一生懸命考えたけど、本当にたいしたことは何もできなかったです。 人に相談をたくさんして、その経験は本当によかった。 いろいろなことに頭を巡らせた。 その、いっこで、売春、ということを改めて考えました。 売春の現場が大変、というのは、「売春するひと」がどう、じゃなくて、やっぱ社会の問題なのだな、といまさら思った。 それは、いろんな他の問題でいわれてるのを小耳にはさんでいたけど、そういうことだったのか、と。実感できました。「当事者」じゃなくて、みんなの共通の認識、行動が、大変さを作ってるっていうか。 私は、ハタから見たら、単に売春婦だけれど、なんつのか、いろいろな方法で、「強制的にやりたくないことをむりやりやる」というのからなんとか逃れ逃れやっているので、「みんな」が思っている売春婦の大変さから、ちょっとだけずれているのだ、と思います。私にとっては、売春婦の大変さは、世の中で生きていくことの鏡のようなものなんだと思う。 だから、私にとって、やっぱ売春の現場の大変さを減らす何かを、実践したり、やり方を発見することは、社会で生きていく大変さをどうにかする、小さな実験場だなあと。私がずっと気にかかっているのは、本当は売春の問題じゃない。でも、実践してるのは、もう、このフィールドに特化されちゃってる。 また、考え続けたい。

2006年9月12日

かえしてしまった

金の赤福餅をもらっていたのですが、それをあっちからこっち、こっちからそっち、どうしていいやらわからず一人交換プレゼントをしていたのですが、神棚へ帰してしまいました。本当はそのお餅を食べたくて食べたくて仕方がなかった。が、どうしてもこれだけは、という譲れない餅を食べたい作法を自らの中にようやく発見し、そしたら、お餅がひゅーんと。手が届かないところへ。 この五日間、初めて体験する緊張感がずっとで、さっき途切れて、それに気がついた。 一番大事なことで、私はお餅が食べたいのがわかりました。 このお餅を持ってきてくれたTさんに、感謝を。 また、これら一連に関して相談に乗ってくださった皆様にお礼とか報告しなければです。 ありがとうございました。